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シドニー生活を発信するブログ

ネイティブスピーカーの話はつまらない

 海外に長期間で滞在すると外国人と話をする機会が多くあります。そして、海外に行く日本人の外国語学習者は外国人と話すことを望んでいるはず。しかしここで重要な問題が…… みんなが憧れる英語のネイティブスピーカーの話は全然面白くない!(個人的な感想です) 今回はそんな話。

 

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日本人の憧れ

 僕はオーストラリアに住んでいますが、日本人と話すと大抵 "外国人の知り合いや友達は出来たか" という話題になります。

 そこで僕が「一番仲が良い友人は台湾人で、ルームメイトはインドネシア人、シェアハウスの大家はタイ人、仕事のボスはフィリピン人、上司はインド人」というようなことを話すと、大体の人が「そうか、アジア人かー」と、なんだか微妙なリアクションをします。

 彼らが求めている"外国人の友達"というのはアメリカ人、イギリス人などのネイティブスピーカーかもしくはフランスやイタリア出身の白人なのです。

 日本人の英語学習者はネイティブスピーカーに対する憧れが非常に強いような気がします。英語学習系のYouTubeや書籍をみても、ネイティブはこういう風に話す、とかネイティブはこういう風に考える、とかそういうことが主題になっていたりします。

 しかし、英語話者の人口におけるネイティブの割合はほんの20%程度。意外にもかなり少数です。にもかかわらず、我々日本人が"外国人"と聞くと金髪の白人をイメージしてしまいます。

 コミュニケーションをする上でネイティブかどうかとか、訛りやアクセントの違いというのを気にするのもはやナンセンス。

 

なぜネイティブスピーカーはつまらないのか

 それではなぜ僕がネイティブはつまらんと主張するのか。何もネイティブスピーカー全員を敵に回すつもりはありません。おもしろい、興味深い話をする人も勿論たくさんいます。でも大体の人はつまらない。なぜなのか。

 オーストラリアにいるローカルのネイティブ達はノンネイティブの人たちに比べるとチャレンジしていない感じがします。それが主な理由です。

 まず彼らのほとんどは第2言語を話すことができない。英語で国内外すべて完結できるので違う言語を覚えようというハングリー精神がない感じがします。ランゲージエクスチェンジで日本語と英語を教えあうという場に行っても、彼らはほとんど日本語を話せません。
 単一宗教で文化的な広がりもあまりないです。宗派の違いはあっても大体クリスチャン。それが悪いとかそういうことではないんですが、移民国家であるオーストラリアには地元のネイティブよりも面白いことをしているノンネイティブがごろごろいます。

 僕が最高にネイティブつまらん、と思ったのはメルボルン出身のオージーと話したときでした。彼はシドニーと比べるとメルボルンの方がご飯がおいしい、というので僕はメルボルンは何がおいしいのかと尋ねました。すると彼は「メルボルンのマレーシア料理とベトナム料理は最高にうまい。日本料理はシドニーのほうがおいしいかもね」とこたえたのでした。

 ギャグで言ってるのかと思って「本当は何がおいしいの?」と聞いてみましたが、マジでそういうことを言ってるっぽいので本当に驚きました。僕はマレーシア料理食べたかったらメルボルンじゃなくてマレーシア行くっつーの。

 文化的な広がりの小ささ、笑いの感覚の違いなどがつまらないと感じさせるのかもしれません。

 

じゃあノンネイティブはおもしろいのか

 単純にノンネイティブだから話がおもしろい、とは言えませんが彼らの努力の量は本当に尊敬できるし、文化の違いも単純に興味深いです。ちょっとどこがどうおもしろいというのは説明しづらいので、今まで出会った興味深い人たちを箇条書きで。

  • オージーと結婚するものの離婚して、更には国に帰れなくなったフィリピン人の大家
  • 毎日、先生オハヨウゴザイマスと手を合わせて挨拶してくる日本大好きなベルギー人
  • 内戦で国を脱出してオーストラリアでねずみ講をやってるラオス人
  • オーストラリアで生まれて自国の言葉は喋れないけどなぜか日本語を勉強する東ティモール人
  • 教団から奨学金を貰ってバナナファームで働くシク教徒のインド人
  • 中国で太極拳をマスターしてきたドイツ人
  • 永住権を得るために大学で勉強する中国人たち

 などなど。他にも色々ありますが、わかりやすく面白いのはこういう人たち。オーストラリアでサラリーマンしてる人とこういう人たちとだったらどっちと話してみたいですか? 僕は断然後者。

 

まとめ

 結局は出会う人次第なんですが、アジアンだからとかヨーロピアンだからとか、そういうことを考えるのは自分の可能性を狭めると思います。ノンネイティブで英語が下手な人が実はものすごい経験をしてきたとか、そういうことがよくあります。

 

 ではまた。