母親が15年くらい崇教真光にハマっていた話 part 1 入信編
僕の母親は僕が2歳の頃から15年くらい、とある宗教にハマっていました。
崇教真光というやつ。すうきょうまひかりと読みます。いわゆる新興宗教です。
なぜ母親が宗教にハマり、なぜやめたのか。その間僕や家族はどうしていたのか。
第1回目の今回は母がいかにして新興宗教に入信したのか、というお話。
※宗教批判をする意図はありません。
崇教真光とは
崇教真光(すうきょうまひかり)は、岐阜県高山市に本部を置く新宗教。世界真光文明教団の教祖岡田光玉(本名・岡田良一)の養女岡田恵珠が後継者争いから1978年に分派独立した。現在は岡田光央(本名・手島泰六)が教祖(教え主)。
引用元:崇教真光 - Wikipedia
信者数は80万人くらいいるようです。うーん、なかなか巨大な集団。
この真光の特徴的な点は手かざしという技(?)を使うところにあります。「組み手」と呼ばれる信者が手をかざすと、手から波動(!?)が出て、病気や怪我が治ったり、憑いている霊が離れていったりするのだとか。すごいですね。
あの東日本大震災のときも、信者が「手かざし」をした場所は奇跡的に津波の被害を回避できたのだとか。
例の如くこの教団にもランクアップシステムがあるようで、数人の勧誘に成功すると中級上級とステータスを獲得できるようになっているみたいです。2,3人でランクアップできるようなので他の宗教団体よりは簡単そうですね。
僕の母親もアグレッシブに勧誘活動をしていました。しかし、姉以外の家族親戚の勧誘にはことごとく失敗しているので、勧誘はあまり上手くなかったのかもしれません。
なぜ母親が宗教にハマったのか
ここからは母が入信するまでの経緯です。
息子(僕)が大事故で死にかけ→障害が残るかも→母、精神衰弱→なんでもいいから縋りたい→勧誘
というのが大きな流れです。
息子、九死に一生を得る
1990年7月。青森。
息子である当時2歳の僕が、自宅前で軽トラックにはねられます。運転していたのは近所に住む老齢の女性でした。
事故発生時は母親は出かけていて、父親が僕の面倒を見ていたようですが彼が目を離した間にこの事故が発生しました。(その後2人は離婚することになるのですが、それはまた別のお話)
当時2歳だった僕には当然記憶にありません。2歳と軽トラックの衝突なのでかなり悲惨だったようです。
僕はは頭から血を流し、すぐに病院に搬送されました。生存率はかなり低かったようです。もし死ななかったとしても脳に障害が残るだろうと医師から宣告されます。
そして東京へ
なんとか一命をとりとめた僕ですが、頭に大きな傷が残ることになりました。
手術時に頭部の皮膚が足りなかったため、背中の皮膚が頭に移植されました。そのため髪のある部分と髪のない部分が混在するまだら模様のヘアースタイルになってしまいました。
奇跡的に障害は残りませんでした。
このときの傷跡を目立たないようにするために僕はしばらく整形外科に通院することになりました。
青森ではできない検査や手術をするために何度か東京の病院にも通うことになりました。
母、勧誘される in 東京
息子が死にかけている。その絶望感は計り知れないものです。
なぜ自分のもとにこのような不幸が起こるのか、運や縁というコントロールできない力というものはどのように作用するのか、ということを考えていた、と母が言っていました。
そんな中、母親は東京でとある新興宗教に勧誘されます。崇教真光。
先祖や守護霊同士の因縁や苦しみを生きている人間に伝えるために、霊が色々な事故や不幸を引き起こしているのだと彼らは言います。
真光的にいえば、僕の事故も父方の先祖の因縁やら何やらで長男である僕が標的になったのだとか。助かったのは守護霊がなんちゃらかんちゃらなのだとか。
……そ、そうだったのか……スピリチュアル!!
どのように勧誘されたのかはわかりませんが、母はしばらく考えていた問題の解答を得て、僕や家族にまつわる不幸を取り払おうとして入信しました。
これには僕も同情してしまいます。ちょうど縋りたいと思っていたところに神様の方からやってきてくれたんだから。わからなくもない。
宗教に付き合わされる幼少期
わからなくもないですが、死にかけていた僕はそんなことなど露知らず。勘のいい僕は3歳で早速母親の宗教活動に思いっきり反抗します。
母はちょっと買い物に行くとその帰りには必ず「お浄め所」と呼ばれる信者の集会所に寄ります。第2の家なのでは、というくらいに通い詰めます。しかしそのお浄め所という場所は子供の僕にとっては非常に居心地が悪く感じました。はっきり言って嫌いな場所でした。はやく帰りたいと泣き叫ぶ毎日です。
何が嫌だったかというと「手かざし」という真光特有の行為が受け入れられませんでした。正座して目を瞑って10分間眉間に手をかざされるというのが基本のやつみたいなんですが、子供にとってはただの罰ゲームでした。
母の信心はかなり深くなかなか家に帰れません。手をかざしたり、かざされたりをずーっとやっています。息子を無視してお前は一体誰のために入信したんだ、と問いたいところです。そのせいで見逃したテレビ番組がいくつあることか。
そんなこともあってか僕は家にいるのが大好きなインドア人間へと成長しました。
自分でも不思議ですが、幼少期から布教というか勧誘というか説得というか、お前も入信しなさいと約15年間言われてきたのに、母の宗教に振り向くことはまったくありませんでした。
ある程度付き合わされてきましたが、変わった人たちだなぁと思いながら見ていました。
まとめ
こうして僕の母親は楽しい真光ライフをはじめたのでした。
身内の不幸(病気、怪我、死別)→宗教に入信、という割と一般的ともいえるパターンです。僕はあまり好きではありませんが、宗教が当事者の心の支えになっているのも事実。否定するのも肯定するのも難しいことだなぁと思います。
ではまた。